曽根靖雅先生
『まねのできない子どものアート』より一部抜粋

 3才児には3才の、5才児には5才の、それも年齢一律にしてはいけない。同一年齢でも、子ども一人ひとりの生い立ち、家族構成、家族のその子に対する接し方、その子の家の立地条件や交友関係、能力適性に応じて、同じことを教えるのにも時期がある。
 今一つ大事なことは、教えられることは、「知」だけであって知識の記憶、記憶に伴う判断ができれば、それで賢くなったと思うのは大間違いである。教えてやらすことはコンピューターでもできる。
 教育で大事なことは「知」「情」「意」のバランスのとれた人間育成にある。
 多くの親たちが大事だと思っていることは「知」だけのように思われる。知育偏重のようである。
 あなたが過去に修得した知識や能力を統合することは、外部から教えるわけにはいかない。
 あなたが今やろうとしていることも、あるいは、あなたの人生の将来、何をどうしようかという計画は、一部は人に教えてもらえる部分もあろうが、あなたのこれからやろうとする計画のすべては、あなた自身がやることである。
 あなたが、これから何をやろうとしているか、その意欲はあなたの内にあるのであって、外から、意欲を起こすことは教えられるものではない。意欲については、昔からよく言われていることで、馬に例を引かれている。馬を水辺に連れて行くことはできても、飲みたくない水を飲ませることはできないと。
 今一つ、あなたが自分から進んで新しい経験をする、これを「創造する」というが創造するということを、外から教えることはできな。
 今、述べたことをまとめると、全知全能を統合する、計画をする、意欲的にやる、創造する、この四つのはたらきは「情」と「意」である。
子ども美術教育の先駆者
曾根靖雅遺稿集
まねのできない   
   子どものアート

曾根靖雅著
3,000円
昭和2年 10年にわたって、大正・昭和初期における日本デモクラシー教育のメッカと言われた奈良女高師(現奈良女子大)附小で、図画工作の渾一的学習が民主教育をリードするという木下イズムの理想の具現に精進。
昭和16年 大阪市教育研究所に出向。
昭和23年 大阪市教育局学校教育課視学(大阪市教委指導主事と改変)視学・指導主事通算19年間、幼児の神童性を保育・教育・療育することの重要性捨て難く専念。
昭和44年文部省の推薦により大阪城南女子短大教授に任命され昭和63年退職。子どもアート研究家として各地に出講・美術教育に関する著書多数。

※「奈良式合科教育指導法」…教科別時間割のなり総合的教育法で遊びの形で生活即学習し、そのなかから自然に国語・算数・図画工作など全教科を学習する…これにより独自の美術教育指導法が確立された。
五字ヶ丘幼稚園の特色  絵画製作