最近、しばしば小学校低学年からの「学級崩壊」がいわれます。その原因は家庭のしつけ教育や母子分離の低調などさまざまですが、就学前の幼稚園・保育園での自由のびのび保育の影響も大きいといわれています。
子どもの好き勝手、気まま放題の園教育がまかり通り、その結果、人の話を集中して聞けない、数分もじっとしていられない、そんな自己中心的な幼児が増えています。もちろん子どもの人格をゆがめる、押しつけ・管理教育もだめ。いずれも、十分な人間性の基礎を築くとはいいがたい。そこで、私たちは本当の幼児教育を進めるための、総合幼児教育を提唱しています。
 
 
総幼研で育つ子どもの心情とは、「はげみ、思いやり、がまんの心」。心が磨かれるのは具体的な体験を通してこそですから、そこに総幼研の多彩な活動が生まれます。
「はげみの心」には、真の子どもの欲求を叶えてあげること。自由に遊びながら、同時に好奇心を満たす知的な刺激も必要です。「思いやりの心」とは、仲間といっしょに共通の目標をもって毎日の生活をエンジョイすること。助け合う仲間意識や信頼感がたいせつです。そして体育活動をはじめ園生活のリズムによって、規律や秩序が自然に身についていく。それが「がまんの心」、すなわちけじめを育みます。
子どもの望ましい「意欲・心情・態度」が、総幼研活動を通じて大きく花開いていきます。
 
 
総幼研の園生活は、快適な動きとリズムにあふれています。体育ローテーション、日課活動、発声・歌と、子どもたちの生命エネルギーを引き出す諸活動が、毎日着実にくりかえされ、園における欠かせない生活習慣となります。しつけが、しっかりと身につくことが、その子の自信を生み、さらにもっとやりたいという意欲を引き出します。
それを阻むものは、大人の勝手なおしつけや過干渉。総幼研の教師は、教える構えを持たない、いわば子どもと育ちの併走者です。幼児たちが楽しく、意欲と集中をもって取り組めるよう、さまざまな創意と工夫を凝らしています。
子どもは誰もが可能性のかたまり。
 
 
知識や技術がご飯だとすれば、それを盛る器をつくるのが、幼児期の役割です。
子どもには本性的に「学びたい」という欲求がありますが、それはいきなり知識や技術を求めるのではない。その子が将来出会ういろいろな活動に対し、興味ややる気を持てる本性的なもの、つまり根っこを育むのが幼児期の教育といえます。
もちろん、あくまで主体は子ども。総幼研の教師は、けっして押しつけはせず、よい環境を与えながら、あとは子どもたちの自らの育ちを信じて、粘り強く待ちつづけます
もじや文章を教えるのではなく、その器である「言語感覚」を、また体育を教えるのではなく、「身体感覚」を磨くことが、幼児教育のたいせつな使命なのです。
 
 
総幼研の考え方は、子どもの脳の発達観に応じた教育原理に基づいています。その基本は体・頭・心のそれぞれの動きの源が、脳のはたらきにあるということ。いまや常識となりましたが、人間性の全体を司る大脳の発達は、幼児期にその基礎を固めてしまいます。総幼研の教育活動のねらいは、その「たくましい脳力を育む」ことに尽きます。つまり、毎日わずかな時間、全面発達のために必要な活動をくりかえし体験することで、どんなことでも子どもの脳が無理なく自然に吸収して、やがて確かな体・頭・心の感覚回路が育ちます。
人間の基礎基本は6歳までが、最重要期。幼児のそばにいる大人の役割も責任重大です。いまが最適のこの時期に、総幼研といっしょにすばらしい子育てを体験してみませんか。