幼児期におけるこの活動こそ
人間形成の基盤となる

絵画製作専任講師  金川 富紀子

 2008年6月8日(日)午後12時45分から報道された、東京秋葉原の事件では、わずか3分間で7人の命を奪って、負傷者10人。19才から74才までの男女17人。路上での通り魔事件としても、史上最悪の事件となりました。その後、テレビや新聞で見ると、犯人の育ちまで報道されていました。
 この容疑者は、幼少の頃からきびしく母親に教育され、学校に入ると、テストの点だけ評価する教育のやり方で、高校生になると、ゲームやパソコンに夢中になっていたようです。又、容疑者が孤立していっているのを家族、その周囲が気がつかなかったのかという問いかけも報道されていました。私もこのような事件を引き起こすには、やはり幼児期の頃から心を病んで、大きくなっても誰にも気がついてもらえず、病んだ心を持ったまま人生を歩んできたのだと思いました。

 五字ヶ丘幼稚園では、「故 曽根靖雅先生の哲学」に基づいて、今では50年近く絵画製作一筋に歩んできています。五字ヶ丘幼稚園の子どもたちは、絵画製作の活動を通して、担任の先生に受けとめてもらったり、クラスの子どもたちに認めてもらうことにより、自分がしたいことを自分で決めて、経験したことを存分に表現しようと、一生懸命になって活動しています。絵が下手でも、作品が立派でなくても「集中してやり通した」ということで、自分自身ありのままさらけ出して出来た作品を担任の先生に話を聞いてもらって、とても満足しているのです。時には、新聞紙を細長く丸めたものをたくさん束ねて、「花束」と、いっていることもあります。その子どもにしたら、初めて作る題材、初めての発想であれば、先生はしっかり認めてあげています。そして次回は、もっと頑張りたいと思うようになるのです。

 私が担任をしていた時のことです。ある4才の女児が、四つ切り画用紙に真っ黒な色で大きな丸を描いて、その上を赤の筆で強くたたいていました。その絵のおはなしが、「きのうのあさ、ママがパパをフライパンでたたいてたんや こわかったんや」と。その絵のことを個人懇談の時に伝えると、お母さんは深く反省され、その子どもも明るくなったのでした。
 又、3才の女児で、赤の筆で画面いっぱいヒステリックに描いて、出来上がった作品のおはなしが、「かじや かじや おかあさんがそこにおるんや」というのです。この子どもの母親に絵を見せて、「お母さん、火事でもやされてますよ」と伝えると、自分の勝手な感情でヒステリーになっていたことを反省されて、その後の子どもは「おかあさんとこうえんへいった」とうれしいおはなしになったりしていました。
 5才の男児で、「ねていたらおおきなおとがしたん。おとうさんがガラスをわっていえにはいってきたんや。あさスリッパをはいてあるいたんやで」と言うおはなしの作品。やはり親に伝えると、「父親が、毎日遅く酔っぱらって帰ってくるので、カギをかけたりしてみたのですが…。このことを父親にも注意します」となり、その子どもも家庭円満となり、私も救われた気持ちになりました。このように、子どもの「心が病んでいる」ということを伝える手段としての表現の場となるのです。他にも、子どもの環境に何かが起こったことも色彩の変化で分かることもあります。
 五字ヶ丘幼稚園のような絵画製作では、先生のキャリアがないと指導が出来ないのではと思われがちですが、「一生懸命やり通した子どもの気持ちをしっかり受けとめられ、その子どもが一番工夫したところ」「人とちがった発想、新たな発想で表現したところ」をしっかり「心」で受けとめられる先生であれば、十分指導できるのです。

 子どもの気持ちをしっかり受け止められる五字ヶ丘幼稚園の先生たちが、他園へ出かけて成功した例をあげさせていただきます。
 去年の夏、H19年8月に行われた「幼児造形 第50回 koyasan集会」に招かれ、そこで公開保育(河内長野市の清教学園幼稚園にて)をさせていただいたのです。清教学園の園児たちと一緒に実行したのは、五字ヶ丘幼稚園の絵画製作で、全国から集まって来られた多くの先生方に見ていただいたのです。
 前日から子どもと一緒に準備をして、当日の絵画製作では、メトーデ表を一人ひとりぶらさげてもらって、出来た子からメトーデ表に○を記入し、おはなしも書きとめて、最後は、クラス全員で一人ひとりが発表する場を設け、出来上がった作品をとてもうれしそうにして発表できたのです。
 この子どもたちから、五字ヶ丘幼稚園の先生一人ひとりに「あしたもまたくる?」「また来てね。楽しかった」と言ってもらえたので、私もこの場面で大変感動しました。子どもの“心”を、先生も“心”でしっかり受けとめられたのでした。



 又、他にも同じく去年の夏、姫路城三の丸広場で開催の、ジャパンアートマイル実行委員会主催「でっ描く! 壁画プロジェクト」に年長児が参加しました。1.5m×3.6mの大きさで、2010年、エジプトで展示される壁画を描くイベントでした。多くの各アート団体がそれぞれ下書きの絵を持ち寄って描いていく中、五字ヶ丘幼稚園の子どもたちは、下書きもない画面に「みんなでまつりのやたいをかついでいる」というテーマだけの指示がある中で、筆の太さ、色や描く場所などは自由になっていました。自分で選んだ筆で、画面に寄り添う友だちの数からしてのスペースは、ほぼ子どもまかせであったけれども、与えられた画面にしっかり描けたのです。自分ひとりだけ大きくしたらどうなるのか、友だちへの思いやりも感じられるけれど、縮こまった作品ではなく、のびのびと皆の思いが集結した作品ができたのです。



 嬰児は生まれてすぐ、自分の思いを泣いて主張し、そのうち、手でさわったり、つかんだりという身体で表現して幼児期になっても自分の思っていることを「ことば」「文章」では思いきり表現できません。このような時期だからこそ、子どもの心からの表現としての場になるよう、絵画製作が幼児期には必要不可欠だと思うのです。
 社会全体からみると、又、他での絵画製作の研修に参加すると、美術教育者(大学教授)がプランをたてて、芸術作品をつくり上げる教授主義になりがちです。五字ヶ丘幼稚園のやり方で、美術専門の先生ではなく、幼児の“心”をしっかり“心”で受けとめられる先生になってほしいです。又、これからの新時代(悪い事件がしきりに多くなってきた)には、人間形成の基盤ともなると思うのです。




このようなやり方の絵画製作が
『子ども自身が伸びる』きっかけとなる


 私が若い頃、故 曽根靖雅先生の哲学に基づいた五字ヶ丘幼稚園の絵画製作の作品に出会った時、「この園の先生になりたい」という気持ちになり、長年勤めさせていただきました。そして、退職してからも、絵画製作専任講師として月に1回、年に12回程、園の子どもたちと絵画製作を通して関わっております。
 私が先生としてこの園で勤め始めた頃、初めて曽根先生にお会いした時、「君はこの幼稚園から給料をいただくのではなく、園の方へ返さないといけないネ。まだまだ勉強不足で、一人前の先生とは言えないね」と冗談ぎみにおっしゃいました。その時、私としては、「精一杯働いているのになぜ?」という思いしかありませんでした。そして一年経つと「君はそろそろ半人前だからお給料の半分をいただいててもいいよ。でも半人前の先生で子どもは満足しとんかなー?」とおっしゃいました。その頃のことを今思い返すと、絵画製作活動以外も先輩の先生がしておられることをまねて保育し、自分のクラスの子ども中心に考えずに、仕事としてしか保育をしていなかったように思います。そして翌年、私が挨拶をかねて結婚の報告をした時に、「曽根先生、これで私は一人前ですか?」とお尋ねすると「これから視野が広くなるかもしれないが、まだまだ、半人前だよ」というお返事をいただき、半人前がずっと続いたのでした。
 私の子どもが2才3ヶ月の頃、芦屋の「童美展」へ連れて行った時のことでした。日頃は、全く造形的な活動をしない保育園に預けていたので、子どもたちの力強い作品を我が子にも見せてやりたいと思って一緒に見てまわりました。かなり多くの作品だったのに、2才の我が子は飽きることなく、作品の一つ一つを指してとても喜んでおりました。この時も曽根先生にお会いし、「君の子どもも、こんなふうに表現したがっているよ」とおっしゃったのです。その翌日にびっくりするようなことがおこりました。
 私が幼稚園の仕事を終え帰宅すると、土曜日で早く保育園から帰った我が子が居間に置いてある真っ白のタンス、幅120p、高さ150pのところに、油性の黒マジックで何かを描いてるのです。高いところは椅子を自分で持ってきて描いていました。私はびっくりして、我が子には声もかけず、ただ驚くばかりでした。日頃みてもらっている義母に尋ねると、黒マジックを見つけてからは、「昼ごはんも食べず、一生懸命かいて、2時間近くもなるし、タンスは真っ黒になるし、おばあちゃんとしても困ったけど、今までこんなに一生懸命になった姿は、今日が初めてやから、かきおわるのを待つことにした」というのです。そうしているうちに黒マジックがかすれてきた時に、我が子は、マジックにふたをして「おばあちゃんがおりょうりしとんや」と題名を言って描き終えたのでした。きれい好きの義母でしたが、孫が全力投球した作品に自分が登場したものですから、うれしくてたまらなく「これは当分このままにしとくこと」と私に命じたのでした。我が家は当分、居間に真っ黒けのタンスを置くことになったのです。
 私はこの日、一晩中このタンスを見ているうちに我が子が真剣な眼差しで描いている姿から、ハッと気がついたのです。今までの絵画製作の指導案は、先輩の先生たちのを見て自分でアレンジして書いたもので、自分のクラスのひとりひとりが一生懸命活動できるように書いたものではないということを反省しました。又、「子どもの気持ちを受けとめることが出来ないから半人前の先生」と曽根先生のおっしゃった通りだったことを思い出し、「子どもは、自分で伸びようとする力がある」ことに気がついたのです。
 その後、「子どもは自分で伸びようとする力がある」ことを確信してからの絵画製作の指導案は、ひとりひとりの子どもを日頃から観察し、日頃からその子に応じた興味あるものを洞察した結果、自分のクラス用としての指導案が書けるようになったのです。
 「子ども自身伸びようとする力がある」ことを信じるようになったその後の一例を紹介します。昼寝用のゴザの端がボロボロとしてきたので多めに切りとって端を折ってきれいにした時、切り落としたゴザで子どもたちが遊びはじめました。「巻いたらおもしろいよ」と言ってきたのを、しっかりとめてやると“筆のできあがり”となり、他のクラスのボロボロになったのを、子どもたちが集めてきて、「筆をつくろう」、そのうち「縄でもつくれる」、そのうち「いらなくなったほうきの先でつくれる」、子どもたちは、園内に筆にできるものはないかと次から次へと探して持ってくるのでした。
 又、材料置き場から固くなった紙粘土を子どもたちが持ってきて、どうしたら使えるかを考えた結果、バケツに固くなった紙粘土と水を入れて、「先生この中にトイレットペーパー入れて、ぐるぐるしてみる」と言う子もいて、「これで作品作るんや」となり、私は、絵画製作の指導案に、「このこと今から書いとくね」と伝える役となりました。こうして、「指導案」は本当に私自身のクラスの子どもたちの意見を書ける場ともなってきたのでした。そんな時に「君は子どもの心がわかるようになってきたね。ほぼ一人前になれたね」とおっしゃっていただき、最初に出来た「ゴザ筆」は、曽根先生からかなり誉めていただくことになり、「これは子どもたちの発想です」と私は伝えたのです。
 保育者でありながら、「子ども自身伸びようとする力」に助けられ、子どもから教えられることが多いのです。今も私は一人前の先生ではありませんが、「子どもが伸びようとする力」をしっかり見守り続けていきたいと思います。



作品がよいのは保育全体がよい証


五字ケ丘幼稚園は、40年以上前から関西の幼稚園や保育園を指導された故曽根靖雅先生の造形哲学の下に「造形教育=絵画製作」に力をいれてまいりました。それは、子どもの興味・関心・遊び=絵画製作=即生活となるよう、又、誰もが考えつかないアイデアや発想を大切にして、創造性豊かにさせる「鍛えて 伸ばす」教育の実践を長年にわたってしてまいりました。
私は、故曽根靖雅先生から20年余り直に指導を頂き、今は保育現場から離れて、月1回五字ケ丘幼稚園の絵画製作の日に講師として来ております。絵画製作専任講師ではありますが、芸術美術専門職ではなく、この五字ケ丘幼稚園で、保育の中で子どもと共に育てられた先生の一員なのです。
私は現場で長年保育をしているうちに、子どもは生まれてすぐに0才の時から、いろんな環境の中での出来事をからだ全身で受け止めて「色」で感情表現ができ、その子の好きな色、心からの表現の色があることに気づいてまいりました。幼稚園の子ども達も、生活の中で体験したこと、経験したこと、さらに思っていることを絵画製作の場で表現して、自分の思っていることが保育者に伝わるととても満足して、「こんど何をしようかな」という意欲につながるようです。
子どもは大人のように思っていることを表現するには、ことばでは十分に伝えられません。保育している先生も、歌をうたったり、ダンス、体操などいろいろとある保育の中でひとりひとりの「心の感情」を受けとめられるのはこのやり方での絵画製作で、子どもの心に触れることができるのです。
幼稚園生活では、歌をうたったり、ダンスをしたり、教材を使っての遊びや、劇あそびなどいろんなことをしていても、クラス全体が「統一できて楽しくやれた」「一生懸命できた」「お友達と協力してできた」などの評価はできても、子どもひとりひとりの生活経験から絵画製作においては、自分のイメージをふくらませて、主題、材料も自分で選び、できた作品の話も自分で作って保育者に伝えることができて、さらにクラスメイトにも工夫したところ、人と違うよさなどをわかってもらうと、「次回の絵画製作はどんなふうにしようかな…」と自分でイメージをふくらませていくことができるのです。そして、自分で作った作品は世界でたったひとつしかないものと思って自信がもてるようになるのです。
このような幼い時期に、当園のようなやり方で子どもが十分表現できる場を与えることは、ひとりひとりの「心」の表現を発揮できる機会でもあり、型にはまった作品ではなく、体当たりでできあがっていく爆発的な感情の作品ともなるのです。担任になった保育者は、しっかり受けとめることによって子どもとの距離間をなくし、真に子どもの気持ちを大切にしようと思う保育者は、クラスのひとりひとりの「心」の中まで洞察できるようになり、さらに信頼関係が深くなり、クラス全体がよい感じにもなってくるのです。それで月に1回位しか見ていない私でも、作品からそのクラスの保育者と子どもとのつながりがうかがえるのです。
@の写真=(3才児が絵を描いている写真) をご覧下さい。大きな筆で描いているかのように見えますが、下のAの写真では、筆自体が子どもの全身で歩くとおもしろい線が描けて、作品のおもしろさがどんどん伝わってきます。そして、子どもの表現がこんなにも無限でゆがみのない「心の広さ」を思わせ絵画製作活動がよくなったクラスは、日頃の保育も驚く程よくなっていると保育者からきいたりすると私も心からうれしく思うし、ほんとうに作品がよいのは、保育全体がよい証だと感じ、常に新たに、常に一歩ずつ前進してゆきたいと思います。

<追伸>
平成17年2月27日(日)のこと
突然、高橋美保子園長先生が交通事故で亡くなられたことを知らされ、とても悲しい出来事となりました。いつも明るく元気な方と思っておりましたので、園関係の多くの方がおどろかれたことと思います。
翌日の2月28日は皆が泣いて、幼稚園の子どもたちも泣いて、この広い園舎も涙が一杯あふれんばかり泣いている感じでした。でも3月1日になると、洪水のような雨のあとに少しずつ明るさをとりもどし、亡き高橋美保子園長先生の意志をしっかり伝えていこうとする動きとなり、園関係の方々の努力で今はすっかり明るさをとりもどすことができました。
「人間は生命の継続を望む。
 しかし、生命の継続が不可能な故に、
 文化の継続として自己の生命を残す」 (無名塾長 故宮崎さん)
高橋美保子園長先生の築かれたものをしっかり継承してゆきたいです。