五字ヶ丘幼稚園の絵画製作

《五字ヶ丘幼稚園の絵画製作》
当園の絵画製作は、保育者が与えたテーマや材料で活動するのではなく、子ども自身が自分で考えて表現する活動です。また、単に作品づくりする活動ではなく、日頃の遊びを含めた生活全体を表現すると同時に、他人への思いやり・社会性・しつけ・自己表現・他人への気遣い、などといったことも身につけていく総合的な保育活動です。

○子どもが自ら興味・関心を持って意欲的に活動する。
○遊びを通して達成感や充実感、挫折感や葛藤などの経験を重ねながら調和のとれた人間としての成長、発達の基盤を身につけていく。

《前日の準備》
絵画製作は、前日からすでに始まっています。
絵画製作の前日に、それぞれが何を作りたいか、何をどう表現したいかを、材料で遊びながら考える時間をとっています。

例えば、買い物に行ったときの事を描こうと言う子がいると、担任の先生はその子から、買い物に行ったとき、何が楽しかったのか、何が嬉しかったのかを聞き出します。買い物に行ったという経験だけではなく、その時の自分の内面の感情を表現できるようにしていきます。

またこの時に、粘土にするか、絵画にするか、立体にするか、当日の活動を決めます。そして立体をつくる子どもは、材料のおいてある部屋に行き、自分が作りたいものに合わせて材料を選びます。教室が汚れないよう新聞紙を敷いたり、絵を描くための紙や布を貼るなどの準備を整えるのも、子どもたち自身が行います。

《当日の活動》
当日、クラスは既に、粘土、絵画、立体と、製作物ごとにスペースが分かれていて、製作に必要な様々な素材が揃っています。それらを使って各々が製作にかかります。
《保育者の動き》
保育者(担任)は一人一人の子どもに目を配り、話を聞き、必要なときには助言を与えます。担任は前日に子どもと何をつくりたいかを話し合って、それぞれを把握しているので、子どもが迷ったり、困ったりしているとき即座に声をかけることができます。
その子どもにとって一番いいものがつくれるような言葉掛けをしていきます。

伸び伸びとした線が描けるように、絵を描く時の子どもの姿勢も、声を掛けてその都度直していきます。
立体製作の場合、素材の接合がうまくいかない場合、自分で色々試して一番良い方法を見つける事も大事ですが、何度やってもうまくいかないようであれば子どもに援助をします。

また機会をみて、保育者は、生活に必要な「しつけ」を教えるのも大切です。
床にハサミが落ちていれば、「あぶないから拾って元の場所に戻そうね」と周りの子の注意を促しながら伝えます。教室を汚さない、友達の邪魔をしない、友だちの作品を大切にする、というような基本的なことも伝えていきます。
机の高さや子ども同士の距離にも気を配ります。静かにさせるのではなく、集中して活動ができるように環境を整えます。こういった保育者の努力がこの絵画製作の活動には不可欠です。

《「お話」を聞く》
絵画製作で出来上がった作品については、つくりっぱなしや描きっぱなしにはせず、作者である子どもの「お話」を心を込めて聞きます。「お話」を聞くことは、子どもの内面の「心」を聞くことになります。子どもがどういうきっかけでその「お話」=主題 を見つけたかを丁寧に聞き取ります。

《メトーデ》 ※最終頁参照
「メトーデ(Methode)」とは、ドイツ語で「如何なる道筋に従っていくか」という意味の言葉です。絵画製作は、元城南短期大学教授の曾根靖雅先生考案の「メトーデ」を基に活動が進められていきます。

「自分ですることを見つけられたね」「誰も描いたことのないお話で描けたね」「一生懸命に最後までがんばれたね」など、メトーデの項目に沿って誉めていきます。
子どもを毎日の生活全体への興味関心や好奇心がもてるように、つまりは生きる事への意欲をかき立てるような方向付けができるよう、メトーデには教育者としての願いが込められています。
人のまねしかできなかったり、言われなければ出来ないのではなく、工夫のできる人として創造性豊か育っていってもらいたいのです。

《最後に》
幼児は遊びがすべてです。遊びの形で生活し学習しています。この絵画製作活動は、単なる造形活動にとどまりません。子どもの自発性と計り知れない可能性を信頼して、子ども一人ひとりの「伸びる」力を「伸ばし」、生き方を「鍛え」ているのです。
この絵画製作は、曾根先生の理論と実践の中から確立されたものです。保育者は子ども達を主体的に創造活動へと導く熱意と誠意を持ち、何が子ども達の興味・欲求・必要なのかを子ども達自身から学ぶ保育技術が必要になります。
この絵画製作活動を、保育を通して、生きた形で未来に受け継いでいくことこそ、これからの時代を担う子ども達の未来へとつながっていくことと信じています。



 五字ヶ丘幼稚園では開園以来40年あまり、元城南女子短期大学教授の故 曾根靖雅先生にご指導をいただいて『絵画製作』を続けて参りました。
 曾根先生は、奈良女子高等師範学校付属小学校での勤務時代、かの有名な木下竹次先生のもとで図画工作を担当されていました。
 木下先生は、子どもたちが「各自の個性を基礎とし、自分の環境に依拠して種々の経験を積み、工夫創作を為し、よかれ悪かれ、自分でなくてはたどることのできない道をたどって、人間固有の本性を発揮し社会に貢献していく」ようになることを目指しておられたようです。奈良付小での実践は、今日の「総合学習」のねらいにも通ずるもので「合科学習」という言葉で説明されています。
 曾根先生は、ある時、木下先生から「君のやっていることは、子どもに何を求め、何を身につけているのか」問われたことをきっかけに、学習メトーデの作成を手がけられたとのこと。そしてそれは今日も、絵画製作における“宝物”として、メトーデを使わせていただいています。
改めてメトーデの項目を眺めてみますと、私たち保育者が、子ども達にこんな事を身につけてもらいたいと切に願う事柄ばかりが挙がっています。メトーデには、教育者としての願いがたくさん込められているのです。
 絵画製作は、単に造形活動を行うというだけではありません。遊びを含めた日頃の生活全体から他人への思いやり、社会性、しつけ、自己表現の術や他人への気遣いなどといったことも身につけることのできる総合的な活動です。
 絵画製作でできあがった作品について、つくりっぱなし、描きっぱなしにせず、作者である子どもの「お話」を心を込めて、その考えに尊敬の気持ちをもってきくことが大切です。「お話」を聞くことは、体験の事実や描いた対象だけでなく、内面の心を聞くことになります。子どもがどういうきっかけでその主題を見つけたかを聞き取り、メトーデに沿って「自分ですることを見つけられたね」「誰も描いたことのないお話で描けたね」「一生懸命に最後まで頑張れたね」など、子どもを正しい方向付けで(メトーデの項目に沿って)、心を込めて誉めることは、つまりは生活全体への興味関心・好奇心=生きる事への意欲へとつながっていきます。
 子ども達はいずれ大人になり、社会に出ていきます。その時に何ができるか、どんな創造的なことができるかは、人間の生き甲斐にも通じることです。言われなければできなかったり、人のまねしかできないのでは寂しいことです。
 絵画製作の時だけ経験と創造力を豊かにしようとしてもできるものではありません。ましてや、絵画製作は決して作品作りのためだけになってはならないでしょう。日頃の保育こそが問われます。私たちにできることは、メトーデを子ども達の成長のよりどころとして、のびのびと身につけていくことができるよう環境を整えることです。子ども達が自分自身の体験や思いの丈を表現する満足感、最後までやり遂げる達成感を持ってもらえるようにです。
 当園の絵画製作は、ダイナミックな活動が多く、例えば保育室や子どもの服が汚れたり、材料探しに奔走するなど、物理的に大変なことも多くあります。この形態での絵画製作を続けていく園が少なくなっている中、当園で40年以上もこのような『絵画製作』の活動を続けていられるのは、活動中の子ども達の輝く“目”があるからでしょう。いつの時代も変わることなく夢中になり、真剣な眼差しを向けて活動している姿があるからなのでしょう。




五字ヶ丘幼稚園では開園以来40年余り、元城南女子短期大学教授の故曾根靖雅先生にご指導をいただき、『絵画製作』を続けて参りました。 今年の2月、突然の事故で急逝した高橋美保子前園長が、子ども達が「束縛」や「禁止」のない活動の中、思いのままにあそべる表現の場を持つことができるようにと始めた保育活動です。子どもの心をたがやし、創造性豊かな子どもに育てるために、子ども達それぞれの発想を大切に、自由にのびのびと活動できるようにと願って、今日まで一貫して製作活動を続けています。
前園長が『私の園の保育絵画製作』という本の中で以下のように述べています。

幼児が絵画製作に一生懸命取り組んで、人のまねなどでなく、主題・材料・技法などを考えるこの活動は、幼児が生きる態度を自ら身につけることです。教えられることも大切なら、自分で考えて行動することはもっと大切です。絵画製作において、他人よりも上手に絵が描けたり作品を作れることも良いですが、もっと大切な「構え」や「生きる態度」を身につけることを私共の園では取り上げています。充実した生活を描くことによって、より生活が確かなものとなり、問題解決を自分で見いだす態度が育ちます。
これからの子どもは、○○大学を出たというだけでは社会で役立たないかもしれません。何ができるか、どんな創造的なことができるかによって、人間の値打ちが決まるのではないかと思います。それは生き甲斐にも通じます。言われなければできないとか、人のまねしかできないのでは困ります。
私たちは、保育絵画製作を通して「自主・自立・創造性」を身につけるように、保育全体をそのようにさせたいものと努力しています。私たちは幼児の次元におりて、バカになって子どもに教えられつつ指導を続けます。子ども達から何が生まれてくるか、それを楽しみに夢を追いつつ今日まで過ごしてきました。


私たちは、絵画製作での作品のタイトルを「お話」と呼んでいます。一人ひとりの子ども達の世界や想いがあふれた「お話」を聞くことによって、先生とそれぞれの子ども達との信頼関係も深まっていきます。ゆたかな「お話」や素晴らしい作品は、日頃の保育や子ども達の生活がどれほど充実したものであるかの反映であります。一人ひとりに合わせた援助によって、子ども達はどこまでも伸びていき、成長していくことができるのでしょう。
子ども達がそれぞれの個性を活かしていける人生を歩んでくれるようにと願って、これからも前園長の保育への情熱を引き継ぎ、この『絵画製作』を続けて参りたいと思います。



環境が表現に

園長 高橋美保子

いろいろな表現活動のうち、絵画製作は自由に感情的表現が出来るものの1つです。世の中の見えるものは、色と形でできていると曽根靖雅先生は言われていました。絵画製作は、まさに色と形の世界で、子ども達の心情が表れます。特に絵画製作は環境に左右されることが結構ありますので、環境整備が充分できていると、それなりの工夫で楽しいものが出来ます。
3才児は、生まれて3年間の積み重ねしかないので“考え”たり“用具を工夫”したりすることは無理ではないかと私ども大人は思いがちですが、何も無ければ無いなりに、無いからこそ出来る、意外な表現の部分があります。大人の常識では考えないようなことを平気ですることができます。
絵画製作で、描いたり作ったりすることを目的として活動に入ったはずの3才児が、破ったり壊したりして形を変化させていきます。その中で、楽しそうに「すべりだい」「おうちこわれた」などと言える子ども、ひたすら破って「全部ゴミになってしまった」と言う子どももあります。それでも子どもは「ヤッター!」と思って満足そうです。
下駄のようなものを足に履いて、その歯の部分に絵の具をつけ「もよう」を作っている園児、ひたすら歩き回っているだけで絵になってしまいました。また、絵の具に紙粘土を混ぜたものを、フィンガーペイントをして、思いっきりドンゴロス(目の粗い布)にぬたくっている園児、(本当は汚れるのが嫌いだったりする子も)手も足も絵の具だらけにして“つい夢中でやってしまう”という現状があったりします。というのも、クラスの周りの子どもが、それぞれが何かを考えて集中しているので、活動をするのが当たり前のようになっているという環境があるのです(最初からすべてうまくいくとは限りませんが)。
どんな活動にも、表現できた結果である作品にも、良いところもあれば悪いところもあります。しかし絵画製作は、非常に評価しにくいものなので、同じ作品であっても、けなすことも誉めることもできます。私たちはできるだけ「誉めて」「認めて」いく構えをとっています。
「なんでもかんでも誉める」というわけではありませんが、子ども達はいつも大人達から「ああしなさい」「これはダメ」と言われることが多いので、ちょっとでも「誉めて」もらうと、とても嬉しい気分になります。もっと頑張ってみようと思ったり、「なんだこんなことで良いなら、いくらでもやるぞ!」と思ったりして、心が開放されるようで、子ども達はみんな絵画製作が大好きです。
入園当初、なかなか親と離れることができず、幼稚園に来るのが大変で、泣くのが仕事のような3才児が、絵画製作をしている時間だけは泣くのを忘れて材料をさわってみて、材料と材料をくっつけていました。「この場で好きなことが見つけられてよかったネ」と思ったのも束の間、活動が終わるとまた泣くのです。しかし、幼稚園は集団としてのきまりがいっぱいで、ついて行けないと思っていた子が、絵画製作がきっかけとなり自分の表現の一端を見つけ、園生活の安定への道を見いだしていきました。
作品は一人ひとり違ったものを作るので、子どもと作品、先生の三者の関わりは非常に大きいです。先生の環境としての働きは大事です。活動の後、必ず「お話」を子どもから教えてもらいます。他人のまねをしたり、他人に迷惑をかけたりしなければ、活動は自由です。自分で課題を見つけ、それを解決しようとする前向きの姿勢、集中する態度などをとても大切にしています。
出来上がった作品の良し悪しは、どことなく製作中の態度が見え隠れして、「ただぬたくっているだけ!!」の絵と、「何か心がこもっている」との違いがみえてくるのは不思議です。
3才児でも、絵画製作ではちゃんと集中できます。ふつう、自由遊びで集中できる時間は10分位と言われていますが、30分〜1時間の間、考えたり、積んだり、貼り付けたり、動かしたり…自分の表現をしようとしています。大きな紙に描いている子は、絵を描くためにイスにあがったります。時々絵の具を取りに降りて、自分の作品を眺めたりしながら、「もうええ」と本人が言えるまで描いています。本当に「えらい!!」と思います。「この辺、あいてる(空間になっている)から、○○を描いたら…?」と保育者が声をかけても、「もうええねん」と、筆をもとうとしません。活動を充分した、ということでしょうか?
幼児は何でも“やりたがりやさん”です。特に珍しい材料があると興味倍増です。急にやる気満々になってきます。本当に環境は大事だと思います。いつも同じ材料、同じ場所、同じ人的構成だと、マンネリになります。私共の工夫は、“いかに子ども達が活動をしたくなるのか?”の環境作りにかかっています。物質だけでなく、部屋の明るさや位置、保育者の関わり、隣になるお友達の影響…、様々な要素が組み合わされて、1日の活動が充実したものになります。私どもの一番の課題としなければならないところです。
この“何でもやりたがりや”の3才児ですが、善悪の判断がつきにくいので、保育者の“人となり”や“思い”を伝え、良い部分だけをうんと誉め、伸ばしていけると良いと思っています。
幼稚園では表現(絵画製作)だけを大切に、毎日を過ごしているのではなく、出す(表現する)ことは、“取り入れること”と“感動すること”と同時でなければなりません。生活体験を豊かに、しかも心に残るようにと願いながら、1つ1つを丁寧に保育していきたいものです。
お家でも、お父さんやお母さんの環境も大切で、心安らかに、前向きな子どもに育てていただくよう、園と家庭が車の両輪のような関係でありたいと思います。




表現としての絵画製作

園長 高橋美保子

幼児は、絵を描いたり踊ったりおしゃべりしたり、いろいろなことをしながら自分を表現しています。きっと表現することがうれしいからそうしているのでしょう。手足が思うように動くだけでもうれしいし、人のことばのまねをしているだけのような会話も楽しいみたいです。
その表現を、まわりの人が受け止め、認めてあげると、その喜びは倍増します。何かができたら「みて、みて」と大人を呼びにきます。単に「できたね。いいですね」と言うだけで、子どもはもう天才になった気分。「もっとやってみたい」「大人を驚かすぞ」とやる気満々になっているのを見かけたりします。誰もいなかったら、動物に話しかけて「えらいでしょ?」と独り言を言っていたりします。
お絵描きすることや作ることも大好きな分野で、自己表現の場として認めてあげたいと思います。初めは鉛筆を持ってぐちゃぐちゃ線や丸を描いているだけでも、本人はいたってまじめで、「電車」「みち」などとつぶやいています。満足そうに「描けた」と見せにきます。いろいろ違う内容を描いても、見かけは単なる線で「ぐちゃぐちゃ」なんですが、年齢相応です。ほめてあげましょう。やがて見る目と手の動きが共鳴して変わってくれば、うんとほめてあげましょう。
表現することが楽しいという環境にいる子は幸せです。上手に描かなくても、自分の思いが出せるといいなと思います。
次第に鉛筆の線だけの表現だけでなく、紙を破ったり、物をこわしたり変化を求めていきます。こわして変化したものの中から思わぬ表現が見つかったりします。
こわしているかと思えば、くっつけて少しずつ思いが形になっていくこともあります。そこに表現されたある作品から、想像できないような「お話し」が飛び出して、何でも“勝手に題をつけているのかな”と思うことがあります。けれども受け止めてあげることにしています。
その子どもの表現として、自分が出せているか?と考えます。
3歳児は、まわりに関係なく感情的に力いっぱい表現します。出来た作品は、集中してがんばったなーと思うものが多いです。
4歳児は、ちょっと考えて知的な面をのぞかせながら表現することがあるので、常識的な絵の表現(概念画)になったりします。指導者の受け止め方、認め方によって子どもの考え方も変わりますので、言葉がけが難しいです。
5歳児は、主題も材料も技法も考えに考えて「どうしたら思いが思い通り表現できるか」というところまで表現を大切にします。指導者が「この方がいいよ」と声をかけても、自分の考えを大切に「こうあるべき…」の説明をして、自分が表現したことの意味づけをします。
他の方法では言い尽くせないことを、あんな風に考えられるものかと大人が感心することがあります。もちろん、だれが見ても一目でそれとわかる表現ではありませんが、作品にお話しを添え、時には身振り手振りも加えて、思いを人に伝えたいとけなげな5歳児です。表現できることを大切に、作品の上手下手はそれぞれですので、けなしたりはせず、指導者は良いところのみほめることにしています。
表現できることは幸いです。その喜びは次なる生活に、生き甲斐や新しい発見をもたらします。またそれを表現してみたいと思うようになればいいですね。人に迷惑をかけることさえなければ自由に表現できる場を幼稚園は提供し、子どもたちはその中で夢を表現し続けてほしいと思います。