「育てる」とは
角田春高先生の著書より
心身の発達を促すには、子どもにどのように接したらよいか、特に、心の発達を促す関わり方について述べます。
人間は心と体から成り立っています。体が成長・維持するためには、「食べ物」を食べる必要があります。その食べ物は、大きく分けると、「米、肉、魚、野菜など」です。これらの食べ物には、栄養素として、「炭水化物、脂肪、タンパク質など」が含まれています。すなわち、食べ物を通して、様々の栄養素をバランスよくとり入れて、初めて体は成長・維持されます。
これに対して、心が発達・維持するためには、「やりとり」が必要です。「食べ物」に相当する「やりとり」は、具体的には「代弁と自己表現」です。それには栄養素として「感情・行動・意志」が含まれています。すなわち「感情・行動・意志」を含む「代弁と自己表現」という「やりとり」をすることで、心が発達し維持されていきます。
「代弁」とは、親や保育者が子どもの態度や行動を見て、子どもの「感情・行動・意志」を子どもに言ってみることです。それを聞き分けて、子どもはうなずいたり、首を振ったり、首を傾けたりして返事をします。親や保育者は子どもの反応を見て、子どもを理解し、次の言葉をかけていくのです。
まだしゃべることのできない幼児でも、その幼児の態度や素振りを見てその気持ちを「代弁」すると、幼児はそれを聞き分けて自分の気持ちを返事します。
「自己表現」ができるようになるには、親や保育者が子どもとの関わりの中で、自分の心に浮かんでくる言葉をできるだけ的確に述べてあげることです。親や保育者に代弁してもらうことで相手の気持ちを知ったり、自分がどのように思われているのかなどを理解するようになり、子どもは自分との関係で相手の気持ち、すなわち「感情・行動・意志」を知ることになります。
家庭生活の中から価値観を身につける
「親学」テキストより
家庭生活、社会生活、いつもすべてが順風満帆ではありません。問題が起こったり、辛く悲しい経験をしたり、大きな選択を迫られる場面など、さまざまな逆境がめぐってきます。そのとき心の支えになり、判断や意志決定の基準になるもの、それがその家庭における価値観です。
子どもは、ふだんの家庭生活の中から価値観を身につけていきます。子どもの脳の成長は著しく、幼児期にはすでに社会における秩序感覚、つまり善悪の判断をもちはじめます。
それだけに、この時期におけるしつけが重要な意味を持ちます。幼児期の子どもにとって、一緒に生活する親は、最も身近な手本であり教師です。親は自らの行動やしつけを通して、我が子が健全な価値観を身につけるよう導く必要があります。
家庭の中で抑えておきたい健全な価値観として、次のようなものがあげられます。
・他者を尊重する=自分以外の人間の欲求や信念、感情を思いやる
・親切=周りの人間に対して、愛情や思いやりを表現する
・健全な生活習慣=自分や家族の体を大切にする
・責任感=決められたことをしっかりとやり遂げる
・誠実=人の信用を得て、公正で信頼に値する存在になる
・勇気=問題に直面したとき、勇気を持って自分の価値観を守り、断固とした態度をとることができる
・自律=自分をコントロールし、自分の技能や才能を伸ばし目標を達成する
・奉仕=人を助け、人のために行動する
・家庭への協力=しっかりと支え合う家庭づくりに協力する
また、食事や睡眠といった基本的生活習慣を身につけさせるのも、家庭での幼児期からの教育が重要です。この時期に、よき生活習慣を確立することで、子どもは正しい生体リズムを獲得し、心と体の健康を維持できるようになるのです。
絵画製作 −曽根靖雅先生の哲学−
絵画製作を長年にわたって指導して下さっていた故 曽根先生、「絵画製作」活動の底に厳然と流れている「哲学」があります。「絵画製作」は、この哲学が基本になっています。
○幼児は「遊び」の形で「生活」し、即「学習」して、自分で「伸びる」力を自分で「伸ばす」能力を持っている。その力・能力を鍛えるのが教育である。
最近、大人の言うとおりに行動してきた、いわゆる「よい子」に、登校拒否や引きこもりに陥ってしまうパターンが増えていると聞きます。言われた通りにし続けていた子どもが成長し、ある時、そうじゃないことに気付いたとき、「自分は悪くない。うまくいかないのは、周りの大人が悪い」と人のせいにする人間になってしまうのです。その思いがあまりにも強くなったときに引き起こされる事件については、みなさんご存知の通りです。
また、子どもの歩んでいく道の小さな石ころを取り除き続けると、大きな岩にぶち当たったときに、なすすべもありません。小さな石ころや障害物に出会ったときに、対処する体験を子ども自身が何度も繰り返していると、大きな岩に対応するための知恵も湧いてくるのでしょう。
「自分のすることは自分で決めていく」ことは、絵画製作活動において、一番の重要ポイントにしていることです。「自分の人生は自分で決めていく」ことにつながっていくので、とても大切なところです。自分の人生は自分自身の足で歩んでいく、知恵を生み出していける、自分のことは自分で責任をもつことのできる人間になってほしいと願っています。当園の「絵画製作」は、その土台をつくっているのです。
存在を喜ぶ言葉がけ
南修治先生の著書より抜粋
乳幼児期の子どもは、誉め言葉によってどんどん伸びていく。誉めることはなくてはならない子育ての技法である。しかし一方で、誉めることによってかき乱される人生も存在していることも事実である。
誉められる時は、親の期待に応えた時だけに限られている場合、子どもは愛されたいために親の顔色を伺って「よい子」を演じて生きることを選んでしまうこともある。親の期待に応えられるうちはよいかもしれないが、期待に応えられなくなった時に疲れ切ってしまう。多くの不登校の子ども達に関わってきて、このパターンが何と多いことであろうか、誉め言葉が重石になることも時にはある。
それではどうすればいいのか、ここが肝心である。親の期待に応えた時、もちろん誉めることに越したことはない。大切なのは、期待に応えられなかった時にどのような言葉がけができるのかということである。そのことが誉め言葉を重石にすることなく、力に変えていく。
期待に応えられなかった時、親は存在を喜ぶ言葉がけを心掛けてほしい。何かができたかできないかの結果ではなく、「そこにいるあなたが大好き」というメッセージを、失敗した時にこそ届けるのである。ある時は成功し、ある時は失敗する。それでも、どんな時でも自分を受け容れてくれる存在によって、人はぬくもりを得ていくのである。失敗にうちひしがれている子どもに、失敗の原因を考えさせる前に「よくばんがったね」「うまくいかなかったかもしれないけれどお母さんはうれしいよ」と、そこにあなたが生きていることが親にとって喜びであるという、原点に帰った言葉がけをするのだ。この言葉がどれだけ子どもに勇気を与えることになるだろうか。
否定的 |
肯定的 |
否定的 |
肯定的 |
だらしがない |
こだわりが少ない |
怒りっぽい |
元気がいい |
意地悪 |
自分に厳しい |
口べた |
聞き上手 |
支配的 |
リーダーシップがある |
落ち着きがない |
フットワークがいい |
わがまま |
自分を大切にする |
依存的 |
人を信頼している |
せっかち |
スピーディ |
がまんできない |
情熱家 |
元気がない |
おしとやか |
内気 |
感受性豊か |
人見知りする |
人を見る目がある |
かわいげがない |
しっかりしている |
生意気 |
自己主張がある |
変なやつ |
ユニーク・個性的 |
いばっている |
指導力がある |
忘れっぽい |
おおらか |
頑固 |
意志強固 |
気が弱い |
配慮深い |
気分屋 |
感性豊か |
おしゃべり |
ほがらか |
集中力がない |
多方面での活躍 |
愛がない |
愛が深い |
消極的 |
じっくり派 |
子どもっぽい |
かわいらしい |
優柔不断 |
柔軟性がある |
引っ込み思案 |
奥ゆかしい |
やさしさと厳しさ
親が子どもに対して、どんな風に関わっていくか、どのようなしつけをしていくかなどは、ご家庭によって様々な価値観があります。しかし、どのような家庭の方針があるにしても、子供の人格形成の基礎は、幼少期の家庭教育が大きく影響することには言うまでもないことでしょう。
「しっかり抱いて、そっとおろして、歩かせる」という日本古来の格言がありますが、これは子供の発達段階に応じた親の関わり方の本質をついています。「ゲーム脳」という言葉もでてきたように、最近は脳科学が随分と発達し、脳のしくみや働きについて、様々なことがわかってきています。子どもの発達は、すなわち脳の発達と言えます。運動や言語、感情など、すべて脳の発達が鍵を握っているいるからです。これからの時代、解明されてきた科学的事実を十分に踏まえながら、成長に必要な適切な関わりをもって人格形成を図っていく必要があります。
親学の中では「母性的関わり」と「父性的関わり」という捉え方があります。
「しっかり抱いて」…子どもを抱きしめ、子どもの存在をしっかりと受け容れてあげる、これは母性的な関わり方ということができます。
「そっとおろして、歩かせる」…また成長していきますと、子ども達もいずれ独立し、一人前の人間として社会に出て行くためには、包み込まれた暖かさとともに、ダメなものはダメとして、時には壁となって子どもの前に厳しく立ちはだかる厳しさも必要です。これは父性的な関わり方といえます。
誤解されやすいのですが、これは、お母さんらしく、お父さんらしくという役割分担の概念とは違います。男性にも母性的な関わりがなければなりませんし、女性にも父性的な関わりが必要なこともあるでしょう。いずれにしても、子ども達にとって、やさしさと厳しさの両方が必要なのです。
「ほめノート」
鵜瀬けい子(宇都宮市在住)
(読売新聞より抜粋) こども未来財団賞
受賞
我が家には、八歳の兄を先頭に、四人の兄弟がいます。ちょっと特別なことは、下の三人が「三つ子」であることです。
私の母と義父母は、既に他界していましたので「三つ子」の子育ては、心も体も休まる時がないほどに大変なものでした。
常に長男の不憫さを感じてはいても、そのまま時を過ごしてしまいました。
三つ子の子育ては躾も何もなく、ただとにかく「命を守る」ことの育児でした。
ガラスを壊し、割れたガラスの穴に手を突っ込む。灯油で遊ぶ。ストーブに毛布を掛けて火事寸前。ベランダに適当な足場を持っていって、乗り越える。二階の窓から脱出を試みて、窓枠にしがみつき、発見が遅ければ落下。横断歩道を赤で渡り、こけて道路のまん中で泣き伏す。自転車での暴走。
私が親としてすべきことは、この子たちの命を守ることと肝に銘じても、これだけの事件が起こっていたわけです。
それから四年。ようやく、命を落とす危険が少なくなってきて、いざ長男と向き合った時、長男は既に心に傷を負っていたのです。
それでも「今からやり直そう」「ほめることから始めよう」と開き直り、ほめようとしたら、ほめる材料が一つとして思い浮かばなかったのです。
私は愕然としてしまいました。
私は、長男を今まで何もほめてなかったんだ。我慢をさせ、あげむに怒ってばかり。
三つ子が生まれてから、ずっと耐えてきたのは、私だけではなく長男も同じだったんだ、とようやく気づきました。
心も、手も掛けてなかったけど、目も掛けてないほどだったのです。
それでも毎日、過去を振り返って、長所探しをしてみました。やっぱり、ありふれた「優しい子」くらいしか思いつかないのです。
そうして、毎日悶々としているうちに、ある日、ふっと思い出したのは、長男が、小学校一年の時に出された、夏休みの宿題「朝顔の観察」でした。これは、親の私のほうが楽しくなって真剣に観察をしてしました。
観察の中で、朝顔は一日草で、ツルも、つぼみも左巻きだと初めて知りました。毎年見ている花なのに、実は見ているようで見ていなかったのです。その時学んだことは「毎日の観察で、新しい発見がある」ということ。
「そうだ! 観察だ! 今から毎日こどもの観察をして、良い所を見つけてみよう」
そして、朝から子どもたち『エライ!』の行動や言語を、頭に記憶しておいて、その夜、記憶をノートに書き写しました。
それは、ほんのちょっとのことでOK。昨日できなくて今日できたことでOK。なんでもOK。
…長男編…
大きな声で「行ってきます」が言えて、えらい!
学校や、外から帰ってきた時に、大きな声で「ただいま」が言えて、えらい!
…次男編…
みんなの食器を片付けて、えらい!
泣いている弟におもちゃを貸してあげられて、えらい!
…長女編…
食事のお手伝いをしてくれて、えらい!
洋服をたためて えらい!
…三男編…
靴をそろえたのが えらい!
早起きができて えらい!
などなど、毎日毎日ノートに書いていたら、良いところが、たくさん、あるある。
ある夜、『エライ!』の記憶を声に出してノートに書いていたら、見る見る子どもの顔が、笑顔になっていくのです。たくさんほめてもらえたのが嬉しかったようです。長男は、ほめたことを次の日も次の日も続けられるようになりました。
毎日怒ってばかりの私でしたが、長所を書いているうちに、ほめる材料がどんどん増えてきて『あら? うちの子どもたちって、なんか、とっても良い子みたいじゃない?』と思えるようになったのです。
数日後、この話を初めて聞いた主人が「僕の『エライ!』は?」と言ったので、ちょっと苦労(?)して考え「今日も、たくさんお仕事をしてきてくれてえらい!」と言ってノートに書いてみました。
そしたら、三男が「ママの『エライ!』は?」と聞くので「今日、家中をきれいにしたママはえらい!」と自分の分も、書きました。
その時、自分の長所を書くって、なんかほめられているみたいで、気持ちいいな!と思い、これが日課となりました。
子どもたちは、自主的に、いろいろなことをするようになってきました。加えて、私の怒る回数が減ってきたのは、良い副作用。
子どもをほめることはもちろん、自分自身もほめ、長所を見つけていくことで、とても幸せな気持ちになれました。また、長男も、少しずつ良い笑顔を見せてくれるようになりました。
このノートを『ほめノート』と命名。
これからも家族の幸せのために、ずっと書き続けていこうと思っています。